
在庫からですが^^;
夕方になると、何処からともなくこの電線に集まって来ます。
ある程度の距離を保ちつつ闇を迎えます。天敵からの防御になるのでしょうか。
不安定な電線は、この子たちにとっては最高の寝ぐらなのでしょう。
【こさぎ 石川県津幡町にて】
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- 2009/04/29(水) 23:26:53|
- 野鳥
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浦島太郎が釣り糸を垂らしているように見えたのでこの名が付けられたのだそうだ。
確かに長い触覚のようなものが垂れていましたが^^;
しかし、浦島太郎には見えませんでした。見た事はないのですが・・・(爆;
ちなみに、毒草なのだとか。
【うらしまそう 東大阪市枚岡公園】
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- 2009/04/25(土) 00:00:52|
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インド北部や中国南部などに分布しているのですが、日本やハワイでは観賞用として輸入されました。
その後放鳥されたため、関東、東海、近畿、中国、四国、九州の各地で繁殖が確認されているそうです。
中国名は「紅嘴相思鳥」と呼ばれていて、つがいを離すと互いに鳴き交わすため、この名が付いたのだとか。
【そうしちょう 東大阪市金剛生駒国定公園】
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- 2009/04/24(金) 00:13:11|
- 野鳥
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栗の花が萎れています。この花と新葉を一緒に食べているようです。
「シッ。シッ。」と鳴く事からシメと言うのだとか。
シメの「メ」は「鳥」なのだそうです。と言う訳で、シッと鳴く鳥で「シメ」。
単純ですね^^;
厳つい顔が気に入ってます。
【しめ 東大阪市金剛生駒国定公園内】
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- 2009/04/23(木) 00:23:30|
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畿内河内地区では最大の古墳です。伊古麻(生駒)山の麓にあるので、この地方を治めていた族の長であった人物でしょうか。
現在は、整備されて当時を再現しています。墳墓の中まで見学出来るので、他では味わう事が出来ない感動があります。しかし、誰の墓陵なのかは記されていません。
当時、この地の豪族と言えば葛城襲津彦(かつきそつひこ)一族と言われています。その系統の長の墓陵かもしれません。

写真は前方部より後円墳墓を望んでいます。じつは私が立っている所には「方形壇(ほうけいだん)」と呼ばれる東西5.8m南北8.8mの祭壇がありました。ここで司祭が祝詞を捧げたのでしょうか。ここから後円部へ続く通路脇には円筒埴輪が並べられています。
昼夜問わず祈りが続けられていたとしたら、明かりを取る為の灯籠のようにも思われます。想像の域は出ませんが、滑走路の灯のようにも見えてしまい、円墳を演出する小道具のように見えてしまいます。
【しおんじやまこふん 八尾市】
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- 2009/04/22(水) 00:53:45|
- 史跡探訪
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先日見掛けた野鳥を調べてみたらコジュケイというのだそうです。
法面の安全防護柵越しだったのでイマイチでしたが、今回は普通に撮らせてくれました。。
元々は中国南部などにいたようです。20世紀はじめ頃に狩猟の対象として日本に持ち込まれた外来種です。
【こじゅけい 東大阪市生駒山】
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- 2009/04/21(火) 01:25:59|
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我が家にやって来た胡蝶蘭です。
神さんが、叩きに叩いて買って来たのだが、3株入りで3,000円弱だそうだ。
蘭には全く興味がない私ですが、被写体としては魅力イッパイです。
春の柔らかな日差しで表現してみました。が、ただの普通ショットになってしまいました^^;
【こちょうらん(学名 ファレノプシス) CanonEOS40D SPAF90mmF/2.8 Di MACRO】
テーマ:写真日記 - ジャンル:写真
- 2009/04/19(日) 23:33:23|
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生駒山中腹から望む大阪都心部です。その昔、この地を治めていた登美一族は、西から攻めて来るであろう外敵に備えて、ここ生駒山一帯に見張り台を幾つも構えていました。
当時は、この裾野あたりまで河内湾(大阪湾)が入り込んでたようです。
現在の和泉あたりからせり出した半島は大阪城・難波宮跡あたりまで延びていました。写真の都心部一帯は全て海と言うより汽水湖状態だったようです。あの美味しい倭蜆(やまとしじみ)も大和川の河口あたり一帯で採れていたのかもしれませんね。
実はこの「やまとしじみ」なるものが、遠く津軽の十三湖(安東水軍の拠点だった地)で採れます。イメージを膨らませば、神武東征に敗北(敗南とか敗東・敗西という言葉は無いのでこの頃に出来上がった言葉でしょうか)した長髄彦一族は、大好きな蜆を何らかの方法で北の津軽まで持ち込んだのだと思っています。ここで力を蓄え、再びこの地を奪還にやってくるのです。
【生駒山麓より大阪都心部を望む】
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- 2009/04/16(木) 00:39:47|
- 史跡探訪
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その昔、櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)は磐舟に乗って西から東に向い、ここ伊古麻(現在の呼称は生駒山)山麓の登美の地にたどり着くのです。当時、河内一帯を治めていたのは土豪、登美一族。その長、長髄彦(ながすねひこ)と和解に至り、同盟強化のため彼の妹君、三炊屋媛(みかしぎやひめ)を娶ります。
その頃、伊波礼琵古命(いわれひこのみこと=後に神武天皇で呼ばれる事になる)は、今の北九州筑紫にいました。人伝に、「東に豊かなまほろば有り」と聞きつけ、欲望漲らせながら、東征へと駆り立てられていきます。
しかし、連戦連勝だった伊波礼琵古命軍は日下の盾津(現在の東大阪市日下町には、今も盾津の名が付く中学校などもある)で、長髄彦軍に敗れる事になるのです。
東大阪より、写真の生駒山を越えるとまほろば登美地区がありました。この山はそんなに高くはないのですが、傾斜が半端じゃなく、天然の要塞としては一級品のように感じます。(自作文につき、記紀などとは程遠い内容ですので悪しからず^^;;;)
【生駒山 東大阪市】
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- 2009/04/14(火) 01:25:36|
- 史跡探訪
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古墳を訪ねたのですが、堀の水面上を燕が忙しく餌取りをしていました。
ピンはイマイチなのですが、カタチが上手くいったので記念に貼っちゃいます^^;
【つばめ 八尾市 心合寺山古墳】
テーマ:野鳥の写真 - ジャンル:写真
- 2009/04/02(木) 22:31:36|
- 野鳥
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