
古墳密集地帯として知られる布留山北西麓に鎮座しいてる神宮です。
日本最古の神社の一つで、武門の棟梁だった物部氏の総氏神として信仰されてきました。
御祭神は、神武東征のとき、国土平定に偉功をたてられたとして天剣(平国之剣くにむけしつるぎ)と、その霊威を布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)として祀ったとある。
しかし、常識として祀るのは「物」ではなく、「人物」ではないのだろうか。
記紀編纂後、持統天皇らは石上神宮に伝わる書物をすべて焼却したのだと言う。
物部連の総氏神と言うのならば、出雲より物部族を率いて大和へやって来たニギハヤヒノミコトを祀っていたのではないだろうか。
神武軍は、ここでもニギハヤヒ軍と交戦をし、哮峯(たけるがみね)の本拠地、登美王国を目指したのではないか。

七支刀(国宝/ななつさやのたち)
「しちしとう」とも言われています。
剣身の棟には、裏表合わせて60余字の銘文が金象嵌で表されています。
推定に誤りがなければ、神功皇后52年に百済から貢上った「七枝刀(ななつさやのたち)」に該当するのではと推定されています。
【いそのかみじんぐう 天理市布留町】
テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真
- 2009/07/28(火) 14:01:55|
- 史跡探訪
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