
あくまでも想像の域は出ないので、予めご了承のほど・・・^^
子供の頃は、歴史・社会の授業になると決って眠くなっていました。
歴史のまっただ中にいる利点を最大限に活用して調べています。
地図の赤い印は、当時、つまり645年頃、このような地形だったと想定しました。
夢太郎のいる地域は、日下(くさか)盾津の近くです。ここは、古事記に登場する神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)が上陸しようとした地です。この辺りまで、海だったようです。汽水湖だったのかも知れませんね。
蘇我一族か支配する政治から、天皇家中心の政治を目指した改新の詔が発布され、都は飛鳥から難波へと遷されます。
気候は今より温暖だったようで、難波辺りは今で言う避暑地だったのかもしれません。内海の中に更に内海があるといった地形です。最高のリゾート地だったのではないでしょうか。
また、建築資材は倭川を使って飛鳥から運んだと思われます。
神社仏閣は、今でも解体修理が出来るのですから、当時は当然建物を解体して運んだ事でしょう。
テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真
- 2010/04/16(金) 01:19:09|
- 史跡探訪
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大雑把に描いてしまいましたが、相当の土砂がたまっていたようです。自然に河内湾は消滅してしまいました。
少し海面が下がったのも一因かもしれませんね。
いずれにしろ、この頃から大阪平野が姿を現したのでしょう。
- 2010/04/19(月) 02:00:09 |
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- 夢太郎 #yCpkrOOg
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この時代に1000万画素以上のデジカメを持ってスリップしてみたいものです。
仰る通りで、想像ができませんね。
広大な干潟があったでしょうから、沢山のシギチで賑わっていた事でしょう。
いろいろと思いを馳せるとワクワクしてきます。
- 2010/04/19(月) 01:49:55 |
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- 夢太郎 #yCpkrOOg
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夢太郎さん、今晩は。
思わず、地図検索してしまいました。(*^_^*)
夢太郎さんのお住まいが何となくわかりました。
でも、聖徳太子のころの畿内は、こんな感じだったのですか~。あとは埋め立てたのですかね。
なにか色々と想像がふくらみます。(*^_^*)
- 2010/04/17(土) 21:39:23 |
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- ジョビちん #IAmA4RkY
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このようなネタは考えていると楽しいですね。
ほんの15年くらい前でも、現在よりははるかに鳥が多かったのに、明治・大正の頃や、はたまた江戸時代なんかは、空を覆う程のシギ・チドリが日本の海辺にいたのではと、想像してます。
大化の改新の時代の干潟などは、想像もつきません。きっと絶景だったのでは。。。
- 2010/04/17(土) 13:01:57 |
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- M.hanada #-
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